皆様、こんにちは。本日は12/16(火)。今年もあと…15日となってしまいました。
改めて今年を振り返ると、最初に胸に浮かぶ言葉は「気付き」である。それは日々の出来事の中に静かに潜んでいた小さな違和感や、ふと立ち止まった瞬間に聞こえてきた内なる声に気付く…という類のものでした。忙しさに流されている時には見過ごしてしまうが、心を澄ませた時にだけ姿を現す、いわば心の微細な振動である。それは…介護や人との関わりの現場において、重要な「寄り添い」という言葉の重みともリンクするモノだと言えるのではないでしょうか?。相手を理解しようとすることは、相手の言葉を解釈することではなく、その沈黙や表情、呼吸のリズムに自分の歩調を合わせることなのだと、何度も教えられた事はその一例だと思います。寄り添うとは、何かを“してあげる”ことではなく、共に同じ景色を眺める覚悟を持つ事だと…。そのために必要だったのが「明鏡止水」の境地でした。自分の価値観や先入観を一度静かに置き、心を曇らせる感情の波を鎮める。水面が揺れていては、月は歪んで映る事と同じです。今年は、自分の心が濁っている時ほど、相手の姿も歪んで見えてしまうという当たり前の事実を、幾度となく体験しました。
そうした心の在り方は、身体とも深く結びついていました。各臓器の働きを学ぶ中で、心とからだが決して別々の存在ではないことを改めて実感しました。肝臓は沈黙のうちに解毒を続け、腸は感情の影響を受け、心臓は緊張や安心に応じて鼓動を変える。疲労や不調は、単なる身体の問題ではなく、「少し立ち止まってほしい」という内なる声として現れているのかもしれない…と感じた事も無縁ではないと確信致しました。
季節感もまた、今年の大切な教師でした。春の芽吹きは『課題を乗り越える為の希望』を、夏の盛りは『課題を生み出す人々の生命力』を、秋の実りは『課題を乗り越えた時の感謝』を、そして…冬の静寂は『課題と対峙した時の内省』を教えてくれる。自然は決して急がないが、確実に巡る。そのリズムに身を委ねることで、人の心身も本来の調和を取り戻すのだと感じました。特に秋から冬へ移ろう時期には、外に向いていた意識が自然と内へ向かい、思考や感情の整理整頓が進んで行きました。整理整頓は、単なる片付けではない。空間を整えることは、思考を整えることにつながる。今年、身の回りを整えるたびに、不思議と心の中の未消化な感情も静まっていくのを感じました。これは介護や様々な仕事で重要とされる『ハインリッヒの法則』にも通じる。大きな事故や破綻の背後には、無数の小さな乱れや見過ごされたサインが存在する。心身の不調も同じで、小さな違和感に気付けるかどうかが、大きな問題を防ぐ鍵となるのではないでしょうか?
また、古典文学を読み返す時間も、今年の大きな支えでした。和歌や随筆に描かれた人の嘆きや喜びは、千年を経てもなお、現代を生きる私たちの心と共鳴する。そこには、便利さもAIも存在しない時代に、人が自分自身と向き合い続けてきた軌跡がある。言葉を尽くし、自然を見つめ、心を詠む。その姿勢は、今なお私たちに静かな指針を与えてくれる。
他方…今年は社会情勢として…AIという新たな知性とも深く関わった年ではなかったでしょうか?AIは答えを速く提示してくれるが、問いを持つのは人間である。だからこそ、「自分は何を大切にしたいのか」「どんな眼差しで世界を見ているのか」という内なる声が、より鮮明になっていったように思います。便利さの中で心を失わぬためにも、『明鏡止水』の境地は今後ますます重要になるのではないでしょうか?
今年を振り返って感じるのは、成長とは前へ進むことだけではなく、立ち止まり、振り返り、整えることの連続であるということです。気付き、寄り添い、身体と心の声に耳を澄ませ、季節と共に生き、古典に学ぶ。その積み重ねの先に、静かだが確かな変化が生まれて行きました。
この一年の出来事や学びは、答えを提示するためにあったのではなく、自分自身に問いを投げかけるために積み重ねられてきたのだと…。気付きや寄り添い、明鏡止水の境地、身体と心の声、季節や古典文学との対話…それらはすべて、読む者それぞれの内省を促し、日常の中に潜んでいた小さな違和感や見過ごされてきた課題を想起させ…これまで一つしか見えていなかった道の先に、別の可能性が静かに存在していることを示してくれる様にも感じました。内省とは立ち止まることではなく、より深く、より広く生きるための助走ではないでしょうか?
課題に気付くことは、未熟さを責めることではなく、未来を選び直す自由を取り戻す事ではないでしょうか?
この文章が、誰かの心に小さな余白を生み、その余白が新たな気付きとなり、やがて未来の選択肢を増やす一助となる事を願ってやみません。




