皆様、こんにちは。本日は12/22(月)。冬至です。冬至とは二十四節気の一つで、北半球において1年で最も昼が短く、夜が長い日を指します。 太陽の力が最も弱まる日ですが、この日を境に再び日が長くなっていくことから、運気が上昇に転じる「縁起の良い日」とされています。
前回のブログで…『この1年の出来事や学びは、答えを提示するためにあったのではなく、自分自身に問いを投げかけるために積み重ねられてきたのだと、今は感じています。』と述べていますが…ご利用者様のご家族様から…『何故自分自身に問いを投げかけるために積み上げられてきた』と仰っているのか?理解できないというご意見を頂戴致しました。…とても鋭いご質問であると同時にご家族様なりに真剣に1年を振り返る機会となった事にご縁を感じました。それと同時に、私自身も悩み抜いた1年を共に同じ道を歩んで来られた事に大変感謝を申し上げたいと思いました。そこで今回は、上記の文章の意味する点を具体例を挙げながら私なりの視点で述べてみたいと思います。
冬至とは…先程も述べた様に…1年で最も夜が長く、闇が深まる日。同時に、ここを境に、少しずつ光が戻ってくる日でもあります。そこから…冬至は、何かを「始める日」というよりも、一度すべてを静かに沈め、整えるための節目と感じる事も可能ではないでしょうか?たとえば、体調を崩したときのことを思い出してみてください。
無理に普段通り動こうとすれば、回復は遅れます。一度立ち止まり、眠り、身体の声に耳を澄ますことで、回復は自然に進みます。これは感覚的な話ではありません。生理学的にも、休息時には副交感神経が優位になり、免疫機能や修復機能が高まることが分かっています。止まることは、回復と再編成のための“能動的な行為”とも言えるのではないでしょうか?
心もまた同じです。忙しさの中で感じていた小さな違和感は、立ち止まらなければ聞こえてきません。むしろ、走り続けている時ほど、その声はかき消されてしまいます。心理学では、これを「認知的負荷」と呼ぶそうです。情報や判断が多すぎると、人は本来の感情や価値観を感じ取れなくなる。逆に、静かな時間を持つことで、脳は不要な情報を整理し、本当に大切なものを浮かび上がらせます。
古典文学の中にも、同じ知恵が繰り返し語られてきました。和歌や随筆には、季節の移ろいの中で足を止め、心を澄ませる姿が多く描かれています。それは自然を詠んでいるようでいて、実は人の内面を映す鏡でもありました。
また、このブログで何度も述べてきた『気付き』とは、新しい知識を得ることではありません。すでにあったものに、もう一度目を向けることです。たとえば、介護や仕事での人間関係の行き詰まりもそうです。相手を変えようとするほど、苦しさは増します。しかし、自分が無理をしていたことに気付いた瞬間、関係性の見え方は変わります。これは「自己認知」が変化した瞬間とも言われます。心理学的には、自分の状態を正確に認識できることは、ストレス耐性を高め、対人関係の摩擦を減らすことが示されています。
また、『寄り添い』とは、誰かを励ます言葉をかけることではありません。評価せず、急がせず、ただ共に在ること。その在り方は、相手だけでなく、自分自身にも向けられる必要があり、その点が課題でもあります。この点も…このブログで別の角度から述べましたが…脳科学の視点では、人は「安全だ」と感じた時に初めて、深い内省が可能になります。自分を責めている状態では、脳は防御に入ります。寄り添いは、思考を止めるためではなく、思考を本来の柔らかさに戻すための条件とも言えるのではないでしょうか?
そして『課題に気付くこと』は、未熟さを責めることではありません。それは、未来を選び直す自由を取り戻すことです。行動科学では、人は「選択肢が一つしかない」と感じた時、強いストレスを感じることが分かっているそうです。内省によって別の可能性に気付くことは、心理的自由度を取り戻す行為であるとも言えるのではないでしょうか?
冬至は、光が最も弱く見える日です。けれど、確実に、ここから光は増えていきます。変化は、いつも静かに、目立たないところから始まります。内省とは、立ち止まるだけではありません。
『一度立ち止まり、回復と再編成の為の“能動的な行為“である、身体の声に耳を澄まし』、『静かな時間を持つことで、脳が不要な情報を整理する為の時間を持ち』、『気付きの意味、寄り添いの意味、課題に気付く事の意味をそれぞれ正確に理解』する事により『思考を本来の柔らかさに戻す』事が必要なのです。そうする事により…より深く、より広く生きるための助走が可能となってくるのです。水が澄むのは、波立たない時です。心も同じではないでしょうか?騒がしさが収まったとき、初めて、本来の輪郭が映し出されるのではないでしょうか?
前回のブログで、私は『この文章が、誰かの心に小さな余白を生み、その余白が新たな気付きとなり、やがて未来の選択肢を増やす一助となることを願ってやみません。』と帰結しております。
そして冒頭のご家族様からの…『何故自分自身に問いを投げかけるために積み上げられてきた』と仰っているのか?理解できないというご意見。
これこそが私が何度も述べている…『一度立ち止まり、眠り、身体の声に耳を澄ますこと』の結果であり、『静かな時間を持つことで、脳は不要な情報を整理し、本当に大切なものを浮かび上がらせ』た結果ではないかと…。それぞれの状態に知らず知らずのうちに『気付き』はじめて…知らず知らずのうちに『寄り添い』はじめて、自らの課題に気付いた瞬間と言えるのではないでしょうか?内省によって人は『選択肢が1つではない』と感じ取った瞬間ではないでしょうか?
冬至の静けさの中で、もし一瞬でも、心の水面が穏やかに凪いだなら——それはきっと、前回のブログで言うところの…明鏡止水の境地が、あなたの内側にそっと訪れた証なのかもしれません。その瞬間を継続して習慣として行こうとする努力こそ…『自分自身に問いを投げかけるために積み上げられてきた』モノであったのではないかと私は考えます。
皆様はどの様に思われますか?
悩みや疑問は誰にでもあります。そして介護や仕事の現場において、その悩みや疑問に純粋に立ち向かおうとすればするほど…人は自分を見失いがちになります。
そんな時こそ…静かな水面に佇む自分自身を思い浮かべて下さい。きっと未来の様々な選択肢が見えてくるのではないでしょうか?




