除夜の鐘』を聴きながら…煩悩を「気付き」に変えるための準備 とは?

皆様、こんにちは。本日は12/30(火)。明日で2025年も終わりです。改めてブログを振り返ってみると…2025年1月1日のブログにて、「介護は『辛く、人には言えない事情』と日本では考えられがちですが、超高齢社会を迎えた日本では、もはやそのような事情を脱皮する時期に来ているのではないか」と述べました。介護は決して一部の人だけが背負う“特別な苦労”ではなく、誰もが人生のどこかで関わる可能性のある、ごく身近な営みです。
2025年は巳年。巳は脱皮を繰り返しながら成長すると言われています。古い皮を脱ぎ捨てなければ、次の段階へは進めません。介護に対する価値観もまた、今まさに脱皮の時を迎えているのではないでしょうか。この点も1/1のブログで書いております。そこで今回は今年を総括して…私も含めた人間が抱える様々な悩みの中に存在するモノが何なのか?…年の瀬に相応しく『除夜の鐘』と関連づけて、少し哲学的な側面に焦点を当てて考察してみたいと思います。
12/31の年の瀬に響く除夜の鐘は108回。その一打ごとに、人間が抱える108の煩悩を祓うとされています。この煩悩は、単なる宗教的概念ではなく、人が生きる中で自然に生じる「思い込み」「執着」「反応の癖」を象徴していると捉えることもできます。介護や障がいと向き合う日常は、まさにこうした煩悩と静かに向き合う連続でもあります。
煩悩①「瞋(しん)」― 怒りと苛立ちの正体
108の煩悩の中でも代表的なものに、「瞋(しん)」があるとされます。これは怒りや苛立ち、思い通りにならないことへの反発を指すと言われております。
介護の現場では、この「瞋」は極めて身近な感情です。
・何度説明しても伝わらない
・同じ訴えを繰り返される
・予定通りに進まない
こうした状況が続くと、「どうして分かってくれないのか」「なぜ今なのか」という感情が湧き上がります。しかし脳科学的に見ると、怒りは前頭前野の制御機能が低下し、扁桃体が過剰に反応している状態です。つまり、怒りは「性格」ではなく「状態」なのです。
ここで重要になるのが『気付き』です。「今、自分は怒っている」という事実(状態)に介護者自身が気付くこと。それだけで、前頭前野は再び働きを取り戻し始めます。そして、この時に有効なのが腹式呼吸です。ゆっくりと鼻から息を吸い、お腹を膨らませ、口から長く吐く。この呼吸は副交感神経を優位にし、心拍数や血圧を下げ、脳の興奮を鎮めることが医学的にも証明されています。怒りを「抑え込む」のではなく、「気付いて整える」。これが、煩悩を否定せず、次の行動へと転換する第一歩と言えるのではないでしょうか?
煩悩②「痴(ち)」― 思い込みと固定観念
もう一つ代表的な煩悩に、「痴(ち)」があります。これは「物事を正しく見られない状態」、すなわち思い込みや固定観念を指します。介護の場面では、次のような形で現れます。
・「高齢だから仕方がない」
・「もうできない人なのだから」
・「介護は大変で当たり前」
こうした思い込みは、無意識のうちに可能性を閉ざします。しかし実際には、高齢であっても環境調整や関わり方次第で能力が引き出されることは、リハビリ医学や認知症ケアの研究でも数多く示されています。「痴」に気付くとは、介護者自身の見方を疑うことです。そしてそれは、相手を尊重する第一歩でもあります。
『ふじの花』が大切にしている「寄り添い」とは、答えを押し付けることではありません。同じ目線で立ち止まり、「この方(被介護者)は今、何を感じているのだろう」と介護者自身が想像すること。その姿勢が、固定観念という煩悩を静かに溶かして参ります。『溶かす』と言うと…今の時期、雪が思い起こされます。日本には古くから雪にまつわる気象の格言があります。「雪が多い年は豊作になる」「寒中の雪は大地を守る」など、一見すると詩的ですが、実際には気温や水分量、土壌環境との関係が科学的にも裏付けられています。介護においても、季節や天候は大きな影響を与えます。気圧の変化による関節痛、寒さによる活動量の低下、雪による孤立リスク。これらを「仕方がない」と受け流すのではなく、予測し、備えることが2026年への重要な準備となるのではないでしょうか?そして、これはまさに、課題を気付きへと転換する力となり得るのではないでしょうか?
来たる2026年に向けて、私たちが整えておきたいのは、特別な知識や完璧な介護技術ではありません(この点も過去のブログの中で何度か述べております[ 6/14、6/17、6/20、9/1、9/12、9/22、10/1、11/18、12/16、12/22等の各ブログにおいてもそれぞれ別の視点から述べております ])。
・自分(介護者やご利用者様)の感情やその時の心身の状態に気付く力
・心身の各臓器の働きが体全体に及ぼす影響を知ろうとする姿勢
・自然と人々の心身との関連を知ろうとする姿勢
・古典文学から人の感情の流れを読み取ろうとする姿勢
・呼吸を整え、身体を整える習慣
・思い込みを手放す柔軟さ
・一人で抱え込まないためのつながり
これらはすべて、日常の中で少しずつ育てていくことができます。
除夜の鐘は、一気に煩悩を消し去るための音ではありません。一つひとつを見つめ、受け止め、手放していくためのリズムと言えるのではないでしょうか?そして、介護もまた然り。小さい頃、親の後を追いながらも…自らの可能性を信じて走っていた時、親はそんな自分達を自分自身の体調の悪さについて一言も言わずに笑顔で育ててくれた恩に報いる為にも…。10/8投稿の過去のブログの中で…『幼いころや昔の季節の情景と結びついた音は、脳の海馬や扁桃体という部分を刺激し、過去の温かい体験を呼び覚まします。認知症の方が、季節の虫の声や昔聞いた唱歌を耳にして、ふと笑顔を見せる……その瞬間、脳の中では「感情と記憶」が結びつく経路が再び働き出しているのです。音は言葉よりも深い部分に届き、記憶の扉をそっと開く鍵のような存在だと言えます。それは、私たちの体内のリズムが自然のゆらぎと共鳴しているからです』と述べております。完璧を目指すのではなく、その日その日の揺らぎに気付き、寄り添いながら進んでいく為にも…。

『ふじの花』は、2026年もまた、皆様のそばで静かに寄り添い、課題を気付きへと変換するお手伝いをさせて頂けましたら幸いです。
どこにでもある何気ない日常を、陰から支え続ける存在でありたいと願いながら…。