現実世界の見え方〜仏教的世界観と量子力学的世界観の親和性とは?〜

皆様、こんにちは。本日は5/5(火)。端午の節句。子供の日です。新緑がまぶしく、風がやわらかく感じられる季節となりました。5月という月は、どこか「満ちていく途中」のような、静かな生命の力を感じさせてくれます。庭先や公園では、色とりどりのバラが咲き始めます。一輪一輪がそれぞれの形を持ちながらも、決して競い合うことなく、ただその場に在る。朝露をまとった花びらは、光を受けて静かに輝き、その姿はどこか、人の人生にも似ているように感じられます。若い蕾のものもあれば、すでに大きく開いたもの、そして散りゆくものもある。しかしそのどれもが「今」という時間の中で、それぞれの役割を静かに果たしているようにも感じられます。その様な季節の移ろいを感じられる今日この頃ではございますが、本日は前回に引き続き、菩提寺の管長の法話の中の一部分に出で参りました、ある言葉の話から引用したいと思います。それは…管長曰く、《仏教と物理学の量子力学とは親和性がある説がある様です》と仰っておりました。そもそも物理学等、高校の時に少しかじった程度であり、更に全く違う分野の話の中にどの辺りが親和性があるというのか?最初、私にはわかりませんでした。ですが、諦めずに色々と調べてみると…その話の本質が少しばかり見えてきたので、今回は触れてみたいと思います。と申しますのも、その点を考える事が現代社会の“揺らぎ“とも言うべき難しい問題点に光を当てながらも、現代に生きる人々や介護で悩まれている方々がどう対処すれば良いか?について…参考になる部分があるのでは?…とも考えられたからであります。
先ず、調べて行くと…仏教と物理学の量子力学においては次の3点、即ち、
① 「実体が固定されていない」という感覚
② 「観ることが現実に影響する」という点
③ 「すべてはつながっている」という見方
以上の点において親和性がある事が解りました。
①「実体が固定されていない」という感覚とはどういう事か?
仏教では「無常」や「空(くう)」という考え方があります。これは「すべてのものは固定した実体ではなく、関係の中で成り立っている」という見方です。他方、量子力学でも、電子などの粒子は、どこにあるかハッキリ決まっておらず、また、状態が確率でしか表せない…という特徴があります(いわゆる“ふわっと存在している”感じです)。例えば…コップを机に置くと「ここにある」と確信できますが、電子レベルでは「この辺りにいる可能性が高い」としか言えません。この「固定されたものではない」という感覚が、仏教の「空」と少し似ている、と言われるのではないでしょうか?
では②「観ることが現実に影響する」とはどの様な事を言うのでしょうか?
この点、量子力学で有名なのが「観測問題」と言われます。観測するまでは状態が決まらず、観測した瞬間に結果が定まる、という現象です。これに対して、仏教でも、「私たちの認識(心)が世界の見え方を作っている」という考え方があります。例えば…同じ雨の日でも、「嫌だな」と思う人もいれば、「風情がある」と感じる人もおられます。世界は同じでも、現実の“意味”は心によって変わります。量子力学は物理的な話、仏教は心の話ですが、「観ることが影響を与える」という構図が似ているとも言えるのではないでしょうか?
それでは…③「すべてはつながっている」という見方とはどの様な事を指しているのでしょうか?仏教では「縁起(えんぎ)」という考え方があります。すべては単独で存在せず、関係性の中で成り立つという思想です。他方、量子力学にも「量子もつれ」という現象があると言われます。離れた粒子同士が、まるで一つのもののように振る舞う現象です。解り易い例で言うと…遠く離れた2つの粒子が、片方の状態が決まると、もう片方も瞬時に決まる現象です。これが「世界はバラバラではない」という印象を与え、仏教の縁起と重ねて語られるのではないでしょうか?
但し、大事な注意点ですが…
•仏教 → 苦しみからどう解放されるか(生き方の智慧)
•量子力学 → 物質世界の振る舞いを数式で説明する学問
つまり目的も方法もまったく違うモノである事は確かだということです。似ているのはあくまで「比喩的な見え方」であって、科学的に同一であるわけではありません。

この点を…解り易く介護の現場に引き寄せてみると…例えば…認知症の方と関わる時、
•「正しい現実」を押し付けるのではなく
•その方の見えている世界を尊重する
これはまさに…「現実は一つではなく、関係性や認識の中で立ち現れる」という感覚とも言えるのではないでしょうか?ここに、仏教的な視点と、(やや比喩的ですが)量子的な感覚が、“現場での優しさ”として重なってくる気が…私には感じられました。
では…その様な親和性が“現代社会の揺らぎ“とどの様に関係があるのでしょうか?
それは…現代が①少子高齢化であり、②多様性の時代でもあり、また、③不確実性の時代でもある…という点と無関係ではないと考えるからであります。
即ち…①少子高齢化とは…「正解が1つでは立ち行かない時代」とも言い換えられます。かつては…家族が支え、地域が支え、それぞれの役割がある程度決まっている関係性があり、「ある種の正解」がありました。しかし今は…独居高齢者、老老介護、認知症の多様な進行など、「一つのやり方では対応できない現実」が広がっています。ここで出てくるのが仏教的な視点です。「その人の状態・縁・関係性によって最適は変わります」これはまさに「縁起」の考え方であります。そして量子力学的に言えば…「状態は一つに固定されていない」とも言えます。つまり現代は“一つの正解を当てにいく時代”から、“関係の中で最適を探る時代”へ移っているとも言えらのではないかと感じております。
次に…②多様性の時代においては、価値観も、生き方も、家族の形もバラバラとなっております。この様な時代に昔のように…「これが正しい」と決めつけると、むしろ衝突が起きるのではないでしょうか?ここで、仏教では…「執着(こうあるべき)が苦しみを生む」と説き、他方で量子力学的な世界観では…「観測の仕方で結果が変わる」と説かれます。
これを現実に落とすと…
同じ状況でも
•「問題行動」と見るか
•「助けを求めているサイン」と見るか
で、対応も結果も変わってくる…という事です。
つまり現代社会は…“見る側の在り方が現実を左右する時代”とも言えるのではないでしょうか?
更に
③ 不確実性が増大すると…コントロールできない前提で生きなければならなくなります。災害、感染症、経済不安…など、未来の予測がどんどん難しくなって参ります。この点を…量子力学の世界では…「本質的に未来は確率でしか語れない」と語り、仏教でも「無常(すべては移り変わる)」と語られ、この2つは響き合う事が感じられるのではないでしょうか?
ここで大事なのは…「確実なものを掴もうとするほど苦しくなる(解りづらくなる)」…という点です。

現代社会は…便利になった反面、
•正解を求めすぎる
•効率を求めすぎる
•コントロールしようとしすぎる
傾向があります。でも現実はそれに応えてはくれません。
介護の現場や人生においても…
•マニュアル通りにいかない
•正しさを押し付けると関係が壊れる
•小さな気付きで状況が変わる
これはまさに…固定的な世界観ではなく、関係性と瞬間の積み重ねで現実が変わる世界とも言えるのではないでしょうか?
言い換えると…「介護の現場や人生そのものが、考え方として、“量子的であり、仏教的”」とも言えるのではないでしょうか?即ち、一方は現実世界に対して『手放す知恵』と表現し、他方は『不確実性の受容』と表現し、まるで両者は別の方向から同じ地点を目指しているとも感じられました。だからこそ…本日の話の最初に戻りますが…菩提寺の管長の法話の中で、仏教と物理学の量子力学には親和性があると仰ったのではないかと…私には感じられました。

皆様はどの様に考えられましたでしょうか?
人は同じ物事を見たり、聞いたりしても、それぞれが考える事はそれぞれです。それがその時代の常識や平均と比較すると…更に話は分けて考える必要が出て参ります。だからこそ、多くの物事に対応する為の方法として、先ずは自らの感情に向き合い、様々な外部の条件に惑わされる事なく、ただ目の前の出来事に対して、どの様に対処すべきか?判断を行う羅針盤の様な考えが必要ではないかと考えます。
本日はその点を考える際の判断材料にして頂けましたら…と思い、ブログに挙げさせて頂きました。参考になる部分が少しばかりでもございましたら…幸いでございます。

「今」という時間の中で、それぞれの役割を静かに果たす事。5月という季節の移ろいの中で、自然との対話が如何に大事か?身に染みて感じる今日この頃であります。