本日は4/30(木)。前回のブログ更新から3ヶ月も経過してしまっていた事、お詫び申し上げます。仕事が忙しく、ブログを更新しようとしてもなかなか自分らしくまとめる事ができなかった…というのが主な理由です。『自分らしく』と偉そうに言うほど知識がある訳ではございませんが、拙い文章の中にも個性を見出す事ができると思っております。その中に『ご縁』と『感謝』、『気付き』と『寄り添い』があります。『ご縁』と『感謝』。これは…私が小さい頃より親戚との付き合いを大切にする事を両親から学び、何かにつけて『親戚もうで』を行っておりました事に起因しています。その中の延長線上に菩提寺である円覚寺へのお墓参りがありました。
先日、久し振りに現在の円覚寺管長である、横田南嶺老師の法話をお聞きする機会があり、そこで話題にのぼった『不将不迎(とすうふげ)』という言葉に心が動かされました。横田管長曰く、「不将不迎(とすうふげ)」という言葉は…「将(お)くらず、迎えず」――つまり、過ぎ去ったものに執着せず、まだ来ていないものを過剰に期待しない。「ただ、今ここに起こっていることに、ありのままに向き合う」という姿勢との事でした。この考え方は、一見すると受動的で、現実から距離を取るようにも感じられるかもしれません。しかし、現代社会、特に私が仕事としている介護の現場…更に認知症の方々と向き合う現場においては、むしろ極めて実践的で、希望につながる視点になり得るのでは?…と私は思っております。
何故か?……
その一つに少子高齢化という現実があります。現代の日本は、急速な少子高齢化の中にあります。介護を必要とする方は増え続ける一方で、それを支える人は減っていく。この状況の中で、多くのご家族や介護職の方が「先の見えない不安」に直面しています。
•「この先、どこまで悪くなるのか」
•「自分はどこまで支えられるのか」
•「この選択で本当に良かったのか」
こうした「未来への迎え(不安や予測)」が、心を疲弊させていきます。
一方で、
•「もっと早く気付けたのではないか」
•「あの時、こうしていれば」
という「過去への将(後悔)」もまた、心を縛ります。
ここで「不将不迎」の視点が活きてきます。今この瞬間にできる関わりに意識を戻すことで、心の負担が少し軽くなる様にも感じられます。
もう一つの要因に…現代が多様性の時代であるという点です。価値観、生き方、家族の形、介護の在り方も一つではありません。
しかしその一方で、
•「こうあるべき」
•「正しい介護とはこうだ」
という“見えない基準”に縛られてしまうことも少なくないのではないでしょうか?
認知症の方々には
•同じ話を何度も繰り返す方
•時間や場所の感覚が曖昧になる方
•怒りや不安を表出される方
が数多くいらっしゃいます。
それに対して「こう対応すべき」と構えすぎると、かえって関係が硬くなってしまいます。「不将不迎」は、「こうあるべき」という思考を一度手放し、目の前のその人を、その瞬間ごとに受け止める柔らかさを与えてくれるのではないでしょうか?
更に、介護の現場では、「効率」や「制度」だけでは測れない価値が存在します。
例えば、
•5分間、ただ手を握る時間
•同じ話に、何度も相槌を打つこと
•静かに隣に座ること
これらは収益には直接つながらないかもしれません。しかし、その方の安心や尊厳には深く関わっています。「不将不迎」の実践は、この“目に見えない価値”に気付く感性を育ててくれるのではないでしょうか?
また、現代は情報過多の時代です。スマートフォン一つで、あらゆる情報が手に入る。しかしそれは同時に、比較、不安、正解探しという負の連鎖を加速させます。
介護においても、
•「この対応で合っているのか」
•「もっと良い方法があるのではないか」
等と考え続けてしまう。結果として、「今ここにいる相手」よりも、「頭の中の理想」に意識が向いてしまうことがあります。「不将不迎」は、その思考の連鎖を一度ほどき、「ただ目の前の表情を見る」というシンプルな行為へと戻してくれるのではないでしょうか?
更に…現代はAIの発展により、効率的に情報を得ることができるようになりました。介護の分野でも、記録、分析、予測といった面で大きな助けとなっています。
しかしその一方で、「最適解」を求め過ぎたり、「人間らしい揺らぎ」を排除する流れも生まれてしまいます。
認知症の方との関わりには、「正解」がありません。ある日は笑顔で受け入れてくれた言葉が、次の日には拒否されることもございます。そこには“揺らぎ”があり、それこそが人間らしさでもあります。「不将不迎」は、この揺らぎを否定せず、その都度応じる柔軟さを大切にしているとも言えるのではないでしょうか?
更に…年末や年始のブログの中で「明鏡止水(めいきょうしすい)」という言葉を持ち出す事がありましたが、その言葉とは以下の様な関係が成り立つと感じられます。
『明鏡止水』とは…曇りのない鏡と、波立たない水のような心の状態を指します。それに対して、「不将不迎」は、その状態へ至るための具体的な姿勢とも言えます。
•過去に囚われない → 鏡が曇らない
•未来にとらわれない → 水が波立たない
認知症の方と向き合う場面で、この状態が保たれると、相手の変化に対して過剰に動揺することなく、穏やかに対応できるようになるのではないでしょうか?
では、以上を前提とすると….日常生活の中でどのような変化が期待できるのでしょうか?
具体例①:同じ話を繰り返すご利用者様
通常であれば…「さっき聞きましたよ」と言いたくなるかもしれません。しかし「不将不迎」の視点に立つと……「今、この方はこの話を必要としている」と捉え直すことができます。すると、声のトーン.、表情、話すテンポ…等といった細かな変化に「気付き」が生まれます。その気付きが、「寄り添い」に変わっていくのではないでしょうか?
具体例②:不安を訴えるご家族様
ご家族様が、「この先どうなりますか?」、「もっと悪くなりますか?」等…と不安を口にされる場面を想定すると…未来を断定することはできません。しかし、「今ここ」でできることはあります。
•今の状態を丁寧に共有する
•小さな変化を一緒に見つける
•今日できたことを確認する
「不将不迎」は、未来を無理に説明するのではなく、「今の安心」を積み重ねる関わりを導く事ができるのではないでしょうか?
具体例③:食事介助の場面
食事が進まないご利用者様に対して、「時間内に終わらせなければ」、「栄養をしっかり取ってもらわなければ」…等と焦ると、介助が機械的になります。しかし一度立ち止まり…「今、この一口をどう感じているのか」に意識を向けると、
•味の好み
•飲み込みのタイミング
•表情の変化
に気付くことができます。
その結果、食事の時間が「作業」ではなく「関係性」へと変わってくる…とも言えるのではないでしょうか?
認知症の症状は、「失われていくもの」に目が向きやすい病です。しかし「不将不迎」は、その視点を少し変えます。失われたものではなく、「今、ここに残っているもの」へ…視線を移すこと。そこには、微かな笑顔、手の温もり、言葉にならない安心感…等といった、小さな希望が確かに存在しているのではないでしょうか?
本日取り上げました「不将不迎」という言葉。この状態に至るには…特別な修行や知識が必要なものではありません。むしろ、目の前の人を見る、その瞬間に応じる…等という、ごく自然な在り方とも言えるのではないでしょうか?しかしそれは同時に現代社会では、最も難しい時代でもあります。だからこそ、
•少子高齢化の中で
•多様性に向き合いながら
•お金に換えられない価値を見つめ
•考え過ぎる思考から少し離れ
•AIと共存しつつも人間らしさを守る
これら…全ての基盤として、「不将不迎」という考え方が静かな支えとなっている様に感じられます。そしてその先にある「明鏡止水」の心の有り様は…ご利用者様だけでなく、支える側の心にも…そして、今を必死に生きている全ての方々へ…確かな余白と安らぎをもたらしてくれる羅針盤の様にも…感じられます。
皆様はどの様に感じられますでしょうか?本日話題に上げました『不将不迎』。現在も様々な病や症状に悩まされているご利用者様、そしてその辛い症状を必死で支えておられますご家族様…さらに多くの生きづらさを感じておられる人々に…少しばかりでも参考になる部分がございましたら幸いでございます。




