本日は5/17(日)。2026年も5ヶ月少しを経過しました。毎日の様に現場のご利用者様やご家族様にお会いし、その悩みに寄り添う度に、自分自身の至らなさにいつも直面している毎日です。即ち、様々な個別の疾患や症状に辛さを感じている方々に…どの様にすればその辛さを緩和できるのか?日々問い続けている毎日となっております。その一方で、事務的には、毎日の現場の会計上の処理を少しづつ慣れない勘定科目を、昨年の苦い経験を活かして『貸借対照表』や『損益計算書』という決算書をイメージし、領収書を整理しながら、当てはめて行く毎日が続いております。その様な事務的な毎日を繰り返す内に、現場で悩んでいる自分自身やご利用者様、更にご家族様に対してお掛けする言葉として…実は会計上の言葉の数々が癒しに聞こえる場合もあるのではないか?…そんな例えがあるのなら…それを解り易く、日々悩まれている皆様にお伝えしたいと思い、今回は筆を取りました。
多くの人々は…会計という言葉を聞くと、少し身構えてしまうかもしれません。「貸借対照表」「損益計算書」「流動比率」「営業利益率」などと言われると、まるで専門家だけが読む暗号のように感じられます。しかし、会計の本質は決して難しいものではありません。一言で言えば、会計とは、「今、何を持っていて、何を借りていて、何に使い、何が残ったのか」を見える形にする営みです。これは、人間関係にもよく似ています。日々、目には見えない帳簿を持っているとも言えるのではないでしょうか?
嬉しかった言葉。傷ついた言葉。誰かに助けられた記憶。まだ返せていない感謝。頑張りすぎて減ってしまった心の余力。逆に、誰かとの関わりの中で少しずつ増えていく安心感など…会社の数字が貸借対照表や損益計算書に表れるように、人の暮らしにも、その人だけの「心の貸借対照表」と「人生の損益計算書」があるのではないでしょうか?
ここからは会計上の難しい言葉を1つひとつ解り易く説明しながら、それらの考え方が人間関係や様々な介護で悩まれている方々に寄り添う言葉として、どの様に考えれば辛い気持ちが和らげる事ができるか?に重きを置きながら述べて参りたいと思います。
1 貸借対照表とは何か
貸借対照表とは、ある時点での会社の状態を表す表です。英語では Balance Sheet、略して B/S と呼ばれます。簡単に言えば、「その人、または会社が、今どのような状態にあるか」を見るものです。
貸借対照表には、大きく三つの要素があります。
一つ目は、資産です。資産とは、持っているもの、将来役に立つものです。現金、預金、車、建物、備品、売掛金などがこれに当たります。
二つ目は、負債です。負債とは、返さなければならないものです。借入金、未払金、買掛金などです。
三つ目は、純資産です。これは、資産から負債を差し引いた残りです。会社で言えば、自分自身の持ち分、土台、余力のようなものです。
つまり、貸借対照表は、「持っているもの」−「返すべきもの」=「本当に自分に残っている力」を見る表とも言えるのではないでしょうか?
これを人間に置き換えるとどうでしょうか。
人の資産とは、お金だけではありません。知識、経験、健康、信頼、家族との関係、近所とのつながり、過去に乗り越えてきた出来事、得意なこと、好きなこと。そうしたものも、その人の大切な資産と言えるのではないでしょうか?
一方で、人の負債とは借金だけではありません。疲労、不安、孤独、言えなかった言葉、誤解された経験、長年抱えてきた後悔、介護する家族の心身の負担。これらもまた、見えない負債のように心に積み重なります。
そして純資産とは、「それでも私は私である」と思える根っこの部分です。認知症状が進んだとしても、言葉が出にくくなったとしても、道具の使い方が分からなくなったとしても、その方の人生の純資産まで消えてしまうわけではありません。ここを見誤らないことが、介護における大切な「気付き」ではないでしょうか。
2 損益計算書とは何か
損益計算書とは、一定期間の成績表です。英語では Profit and Loss Statement、略して P/L と呼ばれます。
貸借対照表が「ある時点の状態」を見るものなら、損益計算書は、「一定期間に、どれだけ売上があり、どれだけ費用がかかり、どれだけ利益が残ったか」を見るものです。たとえば、1年間でいくら売上があったのか。その売上を得るために、どれだけ経費がかかったのか。最後にどれだけ利益が残ったのか。これが損益計算書です。
人間関係に置き換えると、これは一日の過ごし方に似ています。朝、気持ちよく挨拶できた。ご利用者様が少し笑ってくださった。家族が「ありがとう」と言ってくれた。これは『心の売上』とも言えるのではないでしょうか?
一方で、急な予定変更、体調不良、言葉の行き違い、疲労、焦り。これは『心の経費』のようなものです。一日の終わりに、「今日は大変だったけれど、あの笑顔があった」「うまくいかないこともあったけれど、少し信頼が深まった」と思えるなら、そこには『心の利益』が残っています。
反対に、売上が大きくても、経費が大きすぎれば利益は残りません。人間関係でも同じです。どれだけ一生懸命介護しても、介護する側が心身をすり減らし、孤立し、眠れなくなってしまえば、その関係は長く続きません。だからこそ、介護では、「頑張ったかどうか」だけでなく、「無理が積み上がっていないか」「安心が残っているか」を見る必要があります。
3 売上とは何か
売上とは、商品やサービスを提供して得た収入です。事業であれば、訪問介護サービスを提供し、その対価としていただくお金が売上になります。
しかし、人の暮らしにおける売上とは、もっと広く考えることができます。たとえば、ご利用者様が安心して入浴できた。通院の付き添いで不安が和らいだ。買物支援の中で季節の野菜を見て会話が生まれた。言葉が出にくい方が、表情で「うん」と応えてくださった。これらは、金銭では測れない、『人間関係の売上』とも言えるのではないでしょうか?介護における売上とは、単に報酬ではありません。「その人の暮らしの中に、どれだけ安心と尊厳が増えたか」を測る指標とも言えるのではないでしょうか?
失語のある方が、うまく言葉を出せない。それでも、こちらが急かさず、目を見て、ゆっくり待つ。すると、その方が小さく頷く。それは金額にはなりませんが、関係性の中では大きな売上となります。
4 経費と必要経費とは何か
経費とは、売上を得るためにかかった費用です。交通費、消耗品費、通信費、広告宣伝費、車両費などが含まれます。その中でも、事業に必要なものとして認められる費用を、個人事業では必要経費と呼びます。国税庁も、必要経費について、その年に債務が確定していることなどの考え方を示しており、支払ったかどうかだけでなく、事業との関係や発生した事実が大切になります。 この「必要経費」という考え方は、人間関係にも深く通じます。
たとえば、相手の話を聞く時間。同じ説明を何度も繰り返す手間。予定通りに進まないことを受け止める余白。介助前に一呼吸置くこと。相手の表情を観察する時間。これらは、一見すると「非効率」に見えるかもしれません。しかし、介護においては、これこそ必要経費です。急いで介助すれば、時間は短縮できるかもしれません。けれど、ご利用者様が不安になり、拒否が強くなり、次回からさらに時間がかかることもあります。逆に、最初に丁寧な声掛けをする。「今から右袖を通しますね」「冷たくないですか」「少し待ちますね」と伝える。この数十秒は、単なる時間の消費ではありません。『信頼を守るための必要経費』とも言えるのではないでしょうか?
5 減価償却費とは何か
減価償却費とは、長く使う資産の価値を、何年かに分けて費用にしていく考え方です。
たとえば、事業用の車やパソコンを買った場合、買った年に全額を費用にするのではなく、何年かに分けて少しずつ費用にしていきます。国税庁も、建物・車両・器具備品など、時の経過によって価値が減っていく資産について、取得費を使用可能期間にわたって配分する手続きが減価償却であると説明しています。
これを人に置き換えると、少し切ないけれど大切な見方ができます。人の体力、集中力、記憶力、歩行能力、言葉を出す力。これらは、年齢や病気、生活環境によって少しずつ変化します。しかし、ここで大事なのは、「価値が減る」ことと、「人としての価値が下がる」ことは全く違うということです。
減価償却は、資産を否定する考え方ではありません。むしろ、長く使うために、現実的に価値の変化を見つめる考え方です。
介護も同じではないでしょうか?昔できていたことが、今は難しくなる。箸の使い方が分からなくなる。服の前後が分からなくなる。言葉が出にくくなる。見えているのに、それが何か分からなくなる。
それは、その方の存在価値が減ったのではありません。機能の一部が変化しただけです。だからこそ、周囲がその変化を責めるのではなく、「今のその方に合った使い方」「今のその方に合った支え方」を考える必要があるのではないでしょうか?古い道具を大切に扱うように、長く歩んできた人生もまた、丁寧に扱われるべきものと感じます。
6 営業利益とは何か
営業利益とは、本業でどれだけ利益を出せたかを見る数字です。売上から、売上原価や販売費・一般管理費などを差し引いて、本業の力として残った利益です。人間関係で言えば、営業利益とは、「その人らしい関わりの中で、どれだけ温かさが残ったか」と言えるかもしれません。
介護の本業は、単に作業をこなすことではありません。食事介助をする。排泄介助をする。入浴介助をする。通院に付き添う。もちろん、これらは大切な支援です。しかし、その奥にある本業は、「その人がその人らしく、少しでも安心して暮らせるように支えること」です。どれだけ手際よく介助できても、ご利用者様が怖がっていたら、本業としての利益は少なくなってしまいます。一方で、時間はかかっても、「この人なら大丈夫」と思っていただける関係が育てば、そこには確かな『営業利益』があります。
更に言えば…営業利益率という言葉があります。
営業利益率とは、売上に対して営業利益がどれくらい残ったかを見る割合です。会計では、営業利益率は営業利益を売上高で割って見る指標です。中小企業白書などでも、貸借対照表や損益計算書、各種財務指標を用いて企業の収益性や安全性を分析する重要性が述べられています。
人間関係で言えば、営業利益率が高い関係とは、少ない言葉でも安心が伝わる関係です。長く説明しなくても、手を添えるだけで伝わる。言葉が出なくても、表情で通じる。失敗しても、責められないと分かっている。これは、信頼という資産が積み上がっているからこそ生まれるものです。
7 当期純利益とは何か
当期純利益とは、最終的に残った利益です。本業の利益だけでなく、利息、税金、特別な損益なども含めて、最後にどれだけ残ったかを見る数字です。
人の一日で言えば、当期純利益とは、寝る前に残る感覚とも言えるのではないでしょうか?「今日は疲れたけれど、よい一日だった」「全部うまくいったわけではないけれど、あの人の笑顔が見られた」「言い過ぎてしまったけれど、最後に謝ることができた」このような感覚が残るなら、その日は心の当期純利益が黒字だったのかもしれません。
逆に、介護する家族が、「また怒ってしまった」「また責めてしまった」「自分はだめな家族だ」と眠れない夜を過ごしているなら、その日の心の損益計算書は赤字に近いかもしれません。
けれど、赤字の日があってもいいのです。事業でも、毎日必ず黒字とは限りません。大切なのは、赤字になった原因を責めることではなく、「どこに無理があったのか」「どの経費が重すぎたのか」
「どの資産を守るべきだったのか」を見直すことではないでしょうか?
介護する家族も同じです。怒ってしまった自分を責め続けるより、「睡眠不足だった」「一人で抱えすぎていた」「相談先がなかった」と、『心の帳簿』を一緒に見直すことが大切だと感じます。
8 負債・流動負債・借入金とは何か
負債とは、返さなければならないものです。借入金、未払金、買掛金などがあります。その中でも、流動負債とは、比較的短い期間、一般には1年以内に支払う必要がある負債です。たとえば、短期借入金、未払金、買掛金などです。
借入金とは、銀行などから借りたお金です。返済義務がありますが、必ずしも悪いものではありません。事業を始めるため、設備を整えるため、成長のために借りることもあります。
人間関係にも、負債があります。「ありがとう」と言えなかったこと。「あの時、もっと優しくすればよかった」という後悔。家族の中で積み残された感情。介護する側の疲労。将来への不安。これらは、『心の負債』です。
流動負債に近いものは、今日明日にでも対応が必要な負担です。たとえば、今夜眠れていない。食事が取れていない。家族が限界に近い。ご利用者様の転倒リスクが高まっている。服薬管理が混乱している。これらは、後回しにすると危険です。
一方で、長期の負債もあります。長年の親子関係のわだかまり。介護が始まる前からの距離感。「今さら優しくできない」という気持ち。昔言われた言葉の傷。これらは、すぐには返せません。けれど、少しずつ整理することはできます。
ここで大切なのは、負債を「悪」と決めつけないことです。借入金があるからこそ事業を始められることがあるように、人も誰かに助けてもらい、支えてもらいながら生きています。大切なのは、「どれだけ借りているか」ではなく、「返せる見通しがあるか」「無理な返済になっていないか」「一人で抱え込んでいないか」です。
介護も、家族だけで背負うものではありません。介護保険サービス、自費サービス、医療、地域、近所、友人、専門職。これらは、心の資金繰りを支える大切な存在です。
9 資産・流動資産・総資本とは何か
資産とは、持っているもの、将来役に立つものです。流動資産とは、比較的短い期間に現金化しやすい資産です。現金、預金、売掛金、棚卸資産などです。総資本とは、会社が事業に使っている資金全体です。
貸借対照表では、資産の合計と、負債・純資産の合計は一致します。つまり、総資本とは、会社全体を動かすために集められ、使われている力の総量です。
人の暮らしに置き換えると、資産にはさまざまなものがあります。流動資産に近いものは、すぐに使える力です。今日の体力。今ある時間。手元のお金。近くにいる家族。すぐ電話できる相談先。今日食べられる食事。今、交わせる挨拶。
更に言えば…固定資産に近いものは、長い時間をかけて築いた力です。人生経験。仕事で培った技術。子育ての記憶。地域でのつながり。信仰や価値観。その人らしい美意識。好きだった歌。昔からの口癖。大切にしてきた暮らし方。
認知症状が出ると、周囲はどうしても「できなくなったこと」に目が行きます。しかし、その方の中には、まだたくさんの資産が残っています。
失行があり、服の着方が分からなくなっても、「きれいな色の服が好き」という感性は残っているかもしれません。失認があり、目の前の物が何か分かりにくくなっても、「柔らかい布に安心する」「花の香りに表情が和らぐ」という反応は残っているかもしれません。失語があり、言葉が出てこなくても、「人の声の温かさ」「手を握られた時の安心」「待ってもらえる嬉しさ」は伝わっているかもしれません。
つまり、認知症状があっても、その方の総資本は消えません。表に出る形が変わるだけです。介護の役割は、その見えにくくなった資産を、もう一度見つけ直すことではないでしょうか?
10 流動比率とは何か
流動比率とは、流動資産を流動負債で割って計算する指標です。ざっくり言えば、「短期的に支払うべきものに対して、すぐ使える資産がどれくらいあるか」を見るものです。流動比率は、一般に、
流動資産 ÷ 流動負債 × 100 で計算されます。財務分析の実務でも、流動比率は企業の短期的な支払能力を見る安全性指標の一つとして扱われています。
人間関係で考えると、流動比率とは、「今すぐ求められる負担に対して、今すぐ使える余力がどれくらいあるか」を見る指標です。
介護する家族に、流動負債が多すぎることがあります。今日の食事準備。排泄介助。通院付き添い。薬の管理。仕事との両立。施設との連絡。夜間の見守り。本人からの繰り返しの訴え。兄弟姉妹との意見調整。これらが一気に押し寄せると、『心の流動負債』は膨らみます。
一方で、『流動資産』が少ないこともあります。睡眠時間がない。相談できる人がいない。代わってくれる人がいない。お金の余裕がない。知識がない。心の余白がない。この状態では、どれだけ愛情があっても、心の資金繰りは苦しくなります。
だからこそ、介護では、『心の流動比率』を高める工夫が必要です。たとえば、一人で抱えず相談先を持つ。訪問介護や自費サービスを組み合わせる。家族内で役割分担する。本人が落ち着く声掛けを見つける。失敗を責めないルールを作る。記録を簡単に残す。睡眠を削りすぎない。
これらは、『心の流動資産』を増やす行為です。
11 会計用語と人の性格・人間関係の相関関係
ここからは、会計用語を人の性格や人間関係に重ねて考えてみます。
几帳面な人は、貸借対照表型かもしれません。つまり…今、自分が何を持ち、何を負っているかを冷静に見ようとする人です。信頼できる一方で、負債や不足に目が行きすぎると、自分にも他人にも厳しくなりやすい。
明るく行動的な人は、売上型かもしれません。
人と会い、場を動かし、関係性を生み出す力があります。ただし、売上を追いすぎると、経費、つまり疲労や周囲の負担を見落とすことがあります。
慎重な人は、流動比率型かもしれません。「今すぐ対応できるか」「無理がないか」を大切にする人です。
危機管理に強い一方で、心配が先に立ちすぎると、新しい一歩を踏み出しにくくなります。
長期的に物事を見る人は、減価償却型かもしれません。一度に結果を求めず、時間をかけて価値を配分する人です。これは介護ではとても大切な視点です。ただし、我慢しすぎると、自分の疲れまで「仕方ない」と分割して抱え込んでしまうことがあります。
人情深い人は、必要経費型かもしれません。人にかける時間、声掛け、手間、待つことを惜しまない人です。その優しさは大きな資産ですが、相手のために自分を削りすぎると、心の当期純利益が残らなくなります。
信頼関係を大切にする人は、営業利益型です。表面的な成果より、関係の中に残る温かさを大事にします。この人がいると、場が安定します。
そして、人生の深みを持つ人は、総資本型です。得意不得意、成功失敗、喜び悲しみ、すべてを含めて、その人の存在全体が資本になっています。
しかしながら…人を見る時に大切なのは、ひとつの勘定科目だけで判断しないことではないでしょうか?経費が多い人にも、豊かな資産があります。
負債を抱えている人にも、未来の売上を生む力があります。流動比率が低い家族にも、支援を入れれば回復する余地があります。当期純利益が赤字の日が続いても、その人の純資産まで失われたわけではありません。人間関係とは、単年度の損益だけでなく、長い貸借対照表で見る必要があるのではないでしょうか?
12 失行に寄り添う言葉
失行とは、体は動くのに、目的に合った動作がうまくできなくなる状態です。服を着る。箸を使う。歯を磨く。ボタンを留める。お風呂で体を洗う。
これまで自然にできていた動作が、急に分からなくなることがあります。この時、家族はつい、「何でできないの?」「昨日はできたでしょう」「そこじゃないよ」と言ってしまうことがあります。
しかし、失行は怠けではありません。性格の問題でもありません。脳の中で、動作の手順を組み立てる力が弱くなっている状態です。
ここで役立つのが、減価償却費の比喩です。昔のように一度で全部できなくなったとしても、その方の価値が失われたわけではありません。動作という資産の使い方が、少し変わっただけです。
声掛けは、こう変えることができます。「全部ご自分でやらなくても大丈夫ですよ。今日は袖を通すところだけ、一緒にやってみましょう」「前は一人でできたことも、今は手順が分かりにくいだけかもしれませんね。ゆっくり一つずつ確認しましょう」「右手をここに入れてみましょうか。そうです。今ので十分です」「できないところを数えるより、今できた一つを大事にしましょう」
これは、『心の損益計算書』で言えば、余計な経費を減らす声掛けとも言えるのではないでしょうか?責める言葉は、相手の不安という経費を増やします。
一方で、具体的で短い声掛けは、安心という売上を生みます。
失行のある方には、抽象的な指示よりも、目の前の一動作が大切です。
「ちゃんとして」ではなく、「この袖に右手を入れましょう」
「早くして」ではなく、「一つずつで大丈夫です」
「違うでしょう」ではなく、「ここまでできています」
このような言葉は、『信頼関係の必要経費』とも言えるのではないでしょうか?少し時間はかかります。
しかし、その時間は無駄ではありません。なぜなら、その数十秒が、次の介助を楽にし、拒否を減らし、家族の心の営業利益を守るからです。
13 失認に寄り添う言葉
失認とは、目や耳などの感覚器官には大きな問題がないのに、見たもの・聞いたもの・触れたものが何であるか分かりにくくなる状態です。
目の前に櫛があるのに、それが櫛だと分からない。
家族の顔を見ても、誰か分からない。トイレの場所が見えているのに、認識できない。食べ物が目の前にあっても、それが食べ物だと分かりにくい。この時、家族は大きなショックを受けます。「私のことが分からないの?」「こんなに長く一緒にいたのに」「なぜ分からないの?」
その悲しみは当然です。家族にとって、自分が分かられないことは、『心の貸借対照表』に大きな負債として記録されます。けれど、ここで大切なのは、失認のある方が「愛情を失った」のではないということです。認識する力が揺らいでいるだけで、安心する感覚、声の温かさ、触れられた時の穏やかさは残っていることがあります。
ここで役立つのが、資産と流動資産の比喩です。
その方の中には、すぐ言葉にできる流動資産は少なくなっているかもしれません。でも、長い人生で積み重ねた固定資産は残っています。好きだった歌。なじみの匂い。落ち着く声。若い頃の習慣。家族と過ごした時間。大切にしていた季節の感覚。
失認のある方に対しては、「分かるでしょう」
と迫るより、「分からなくても安心できる環境」を整えることが大切です。
声掛けは、こうできます。「分からなくても大丈夫ですよ。私はそばにいます」「これはお茶です。温かいですよ。少し香りを感じてみましょうか」「ここはトイレです。今から一緒に入りますね」「私の名前が出てこなくても大丈夫です。いつもそばにいる人ですよ」「思い出せなくても、安心していただければ、それで十分です」
これらは、『心の流動比率』を高める言葉です。
本人が今すぐ使える認識の力が少ない時、周囲が分かりやすい環境を用意する。物の置き場所を一定にする。色や形で目印をつける。声をかける時は正面から近づく。急に触れない。一つずつ説明する。
これらは、その方の『心の流動資産』を補う支援です。家族にとっても、「分かってもらえない」という負債を一人で抱え続けるのは苦しいことです。だからこそ、発想を少し変える必要があります。名前を呼ばれなかった日を赤字と見るのではなく、手を握った時に表情が和らいだことを売上として見る。会話が成立しなかったことを損失と見るのではなく、同じ空間で穏やかに過ごせたことを営業利益として見る。その見方が、家族の心を守るのではないでしょうか?
14 失語に寄り添う言葉
失語とは、言葉を理解したり、話したり、読んだり、書いたりする力が障害される状態です。言いたいことがあるのに言葉が出ない。違う言葉が出てしまう。相手の言葉が分かりにくい。文字が読みにくい。名前が出てこない。
失語のある方にとって、言葉が出ないことは大きな苦しみです。そして、家族にとっても、これまで普通に話せていた相手と会話が難しくなることは、深い喪失感を伴います。しかしながら…ここで大切なのは、言葉が減っても、関係が減ったわけではない
ということです。
会計で言えば、売上の形が変わっただけとも解釈できます。以前は、会話という形で売上が上がっていた。今は、表情、頷き、視線、手の動き、沈黙を共有する時間という形で、別の売上が生まれている。
失語のある方に対して、急かす言葉は大きな経費になります。「早く言って」「何が言いたいの?」「違う、そうじゃない」「もういいよ」など…これらは、本人の心に焦りと恥ずかしさを生み、次の言葉をさらに出にくくします。
一方で、待つことは必要経費です。声掛けは、こうできます。「ゆっくりで大丈夫です」「言葉が出てこなくても、伝えたいことがあるのは分かっています」「はい、いいえで答えられるように聞きますね」「指差しでも大丈夫です」「言葉にならなくても、表情で伝わっていますよ」「今、言おうとしてくださったことが大切です」これは、信頼という営業利益を守る言葉です。
失語のある方との関係では、沈黙を恐れないことが大切です。沈黙は、空白ではありません。相手が言葉を探している時間です。心の中で帳簿をめくり、どの言葉を取り出すか探している時間です。その時間を奪わないこと。先回りしすぎないこと。それでいて、困っている時には選択肢を示すこと。たとえば…「お茶ですか、水ですか」「寒いですか、暑いですか」「行きたいですか、休みたいですか」と、答えやすい形にする。
これは、『言葉の流動資産』を増やす支援です。話せないから分かっていない、ではありません。言葉が出ないから気持ちがない、でもありません。むしろ、言葉にならないからこそ、周囲の寄り添いの質が問われるのではないでしょうか?
15 家族への寄り添いとしての会計の比喩
認知症状に悩むご家族は、毎日たくさんの見えない帳簿を抱えています。できなくなったことの記録。言えなかった言葉の記録。怒ってしまった後悔。うまくいった声掛け。本人の笑顔。周囲に理解されなかった苦しさ。それでも続けてきた日々。
その帳簿は、他人には見えません。だからこそ、支援者は安易に、「もっと優しくしてください」
「怒らないでください」「家族なんだから」と言ってはいけないのだと思います。
家族にも、流動比率があります。今すぐ使える余力が少ない時に、さらに正論という負債を積み上げてしまえば、心は倒れてしまいます。必要なのは、家族を責めることではありません。「ここまでよく支えてこられましたね」「今、かなり心の流動負債が増えている状態かもしれません」「まずは今日眠れることを、一番大切にしましょう」「できなかったことではなく、今日守れたことを一緒に見ましょう」「ご本人様の資産も、ご家族様の資産も、まだ残っています」このような言葉が、家族の心の資金繰りを助けます。
介護は、単年度黒字を目指すものではありません。今日うまくいかなかったとしても、明日少し関係が戻ることがあります。今月つらくても、来月サービスを入れることで余白が生まれることがあります。言葉が減っても、信頼が増えることがあります。できることが減っても、優しさに気付く力が増えることがあります。
会計で大切なのは、数字を隠さないことです。
介護で大切なのも、苦しさを隠さないことです。
「もう限界です」「一人では無理です」「どう声をかけたらいいか分かりません」
これらは弱音ではありません。心の貸借対照表を正直に開示することです。そこから、必要な支援を考えれば済む事です。
16 日々の言葉掛けを、心の仕訳として見る
会計では、一つひとつの取引を仕訳します。現金が減った。消耗品費が増えた。売上が立った。借入金を返済した。
介護でも、日々の言葉掛けは心の仕訳のようなものです。「また間違えたの?」これは、不安という負債を増やす仕訳かもしれません。
「大丈夫、一緒にやりましょう」これは、安心という資産を増やす仕訳です。
「何で分からないの?」これは、恥ずかしさという経費を増やします。
「分かりにくかったですね。もう一度ゆっくり伝えますね」これは、信頼という営業利益を残します。
「早くして」これは、焦りを増やします。
「急がなくて大丈夫です」これは、本人の流動比率を高めます。
言葉は無料に見えます。けれど、実際には大きな力を持っています。一言で関係が黒字になることもあります。一言で赤字になることもあります。もちろん、家族も人間です。いつも完璧な言葉を選べるわけではありません。だからこそ、失敗した時には、後から修正仕訳をすればいいのです。「さっきは強く言いすぎました。ごめんなさい」この一言は、『心の帳簿』を整え直す力があるのではないでしょうか?
17 結び――人を、費用ではなく資産として見る事の重要性
会計は、冷たい数字の世界に見えるかもしれません。しかし、本来の会計は、現実を見つめるための道具です。何を持っているのか。何を失いつつあるのか。何に使いすぎているのか。何を守るべきなのか。どこに投資すべきなのか。
これは、介護にもそのまま当てはまります。
失行がある方には、できなくなった動作だけを見るのではなく、今できる一動作を資産として見る。
失認がある方には、分からなくなった認識だけを見るのではなく、安心できる感覚を資産として見る。
失語がある方には、出てこない言葉だけを見るのではなく、表情や沈黙の中に残る信頼を資産として見る。そして家族には、「もっと頑張るべき」ではなく、「今の心の流動比率は大丈夫ですか」と問いかける。
人は、費用ではありません。認知症状が出た方も、介護する家族も、支援する人も、みな大切な資産です。ただし、資産は放っておけば傷みます。手入れが必要です。休息が必要です。適切な支援が必要です。時には、外部からの助けという借入も必要です。
そして何より、「あなたはまだ大切な存在です」
と伝え続ける言葉が必要です。
貸借対照表には表れない資産があります。
損益計算書には載らない利益があります。
減価償却では測れない人生の深みがあります。
流動比率では測れない、家族の祈りがあります。
介護とは、その見えない帳簿を、そっと一緒に見つめる仕事なのかもしれません。
今日、言葉が出なかった。でも、手を握ったら少し表情が和らいだ。
今日、服の着方が分からなかった。でも、袖を通せた時に小さく頷いてくださった。
今日、家族の名前が出なかった。でも、声を聞いて落ち着いてくださった。
それらは、小さな黒字です。人間関係の中に残った、確かな営業利益です。その小さな黒字を見落とさない『気付き』を大切にする事。そして、その『気付き』に『寄り添う』努力を続ける事。日々の笑顔や健康がそれを支え続ける無数の隠された努力に支えられている事。
本日はその例え話として、『貸借対照表』や『損益計算書』等を例に出して、述べて参りました。少しばかりでも参考になる部分がございましたら幸いでございます。




