「悩みは誰のものなのか」――昭和、令和、そして未来へ。「無字の呼吸」から考える、人が悩みを受け渡してゆく意味とは?

皆様、こんにちは。本日は9/9(水)。月日が流れるのは早いモノで、今年も早くも9月になってしまいました。そのような早い月日を感じながらも、私たちは、ときどき不思議な場面に出会います。二十歳の人が、七十歳の人にスマートフォンの使い方を教えている一方で、七十歳の人が、二十歳の人に、失恋したとき人はどう立ち直るのかを語っている。また、四十歳の管理職が、二十代の部下から新しい働き方について教えられることもあります。その反対に、二十代の若者が、四十代の人から「失敗しても人生は終わらない」と教えられることもあります。更に、現代では、高齢の親を介護する五十代、六十代の人が、二十代、三十代の介護職員から認知症への接し方を教わることさえあります。
すると、こんな疑問が生まれます。
「人生経験が長ければ、悩みへの答えも多く持っているのではないか」…もちろん、人生経験には大きな価値があります。しかし心理学における「知恵(wisdom)」の研究では、単に年齢を重ねたり、多くの経験をしたりするだけで、自動的に人が賢明になるわけではないことが指摘されています。経験を振り返り、他者の立場を理解し、自分の考えを修正する力などが加わって初めて、経験は「知恵」へ変わって行くというのです。つまり、年齢は知恵の材料にはなる。しかし、年齢そのものが知恵なのではない。ここに、現代の悩みを考える重要な入口があるのではないかと感じております。

ここで、興味深いお話をご紹介します。
私の菩提寺の鎌倉市、円覚寺の現在の管長=横田南嶺管長が…2026年9月1日の円覚寺「今日の言葉」で、「虚構と現実」という興味深い話を書かれています。そこで語られている「虚構」とは、単なる嘘や作り話という意味ではないと言うのです。
人間は…「私はこういう人間だ」「家族とはこうあるべきだ」「親ならこうしなければならない」「仕事では成功しなければならない」「老後とはこういうものだ」…
という「物語」を自分の中につくりながら生きています。
横田管長は、人間は自分なりの物語を作り、その中で役割を果たそうとする一方、現実がその物語どおりにならないところから苦しみが生まれるという趣旨を説いています。そして重要なのは物語を捨てることではなく、「物語であると知りながら、とらわれずに生きること」だと結ばれています。
たとえば…「子どもは自分より幸せになってほしい」という親の願いそのものは、とても温かいものです。ところがいつの間にか…「この学校へ進むことが幸せ」「この職業に就くことが幸せ」「結婚することが幸せ」…という物語へ変化することがあります。
子どもが違う人生を選ぼうとすると、親は苦しくなります。しかし苦しみの原因は、必ずしも子どもの選択そのものだけではありません。「自分が思い描いていた子どもの人生」と「実際の子どもの人生」との距離…にもあると結ばれております。
これは若者にも該当します。SNSを開けば…「同級生は結婚した」「友人は昇進した」「あの人は旅行をしている」「あの人にはたくさんの友達がいる」…という情報が次々に入ってきます。
すると、「三十歳なら、このくらいになっていなければならない」…という自分自身の「人生の台本」が出来上がる。現実の自分がそこから外れると、不安になる。つまり私たちは、現実だけによって苦しんでいるのではありません。「現実はこうであるべきだ」という頭の中の物語と現実との落差によっても苦しんでいると結ばれております。
また、横田管長は…別の日の法話で…「とらえる」と「とらわれる」は違うという趣旨のお話をされております。即ち、横田管長は…足の裏で床を「とらえる」事と、力を込めて「つかもう」とすることの違いを、身体の稽古を通して、書かれています。
強くつかもうとすれば身体は固くなる。しかし接しているところを感じながら身体全体をつなげると、安定しながら自由に動くことができる。そこから横田管長は、「集中」と「執着」の違いへ話を広げています。子どもを見る場合でも、その子だけを凝視して周囲が見えなくなる状態と、子どもをきちんと見ながら周囲まで把握できる状態とは違う。「とらえる」とは、はっきり認識しながらも、そこに縛りつけられないことなのだ、と説明されています。
これは悩みについても同じではないでしょうか?
例えば…「私は仕事に失敗した」という現実を…「とらえる」。しかし、「だから私は駄目な人間だ」…という物語にまで発展させて、「とらわれない」。また、「私は離婚した」という出来事は受け止める」しかし、「だから私の人生は失敗だった」という人生全体まで決めつけない。更に…「私は年を取った」という現実は認める。しかし、「もう誰の役にも立てない」という結論まで自分を閉じ込めない。

別の角度から表現する為の言葉として、「無字の呼吸」と言う言葉があります。これは、ゆっくりと肚に息を吸い、息を吐きながら心の中で強く「ムー……」と念じ、心に浮かんでくる怒り、不安、喜び、執着、迷いなどの思考や感情に巻き込まれず、それらを一度手放していく禅的な実践です。大切なのは、感情そのものを否定したり、無理に消そうとしたりすることではありません。どのような思いが浮かんでも、それを追いかけず、「ムー……」という一念と『呼吸』に立ち戻ることで、思考や感情に振り回されない心を養っていきます。
この「無字」という言葉の背景には、臨済禅で古くから重視されてきた「趙州の無」という公案があります。ある僧が趙州禅師に「犬にも仏性がありますか」と尋ねたところ、趙州はただ一言、「無」と答えました。この「無」は、単純に「無い」という意味ではありません。「ある・ない」「正しい・間違い」「好き・嫌い」といった、人間が物事を分けて考える心そのものを超えていくための問いとして、禅の修行で長く用いられてきました。
この言葉(無字の呼吸)は…円覚寺の現在の黄梅院の内田一道という御住職が説かれたモノであります。内田一道御住職は…こうした臨済禅の「無字」の伝統を、私たちの日常生活の中でも実践しやすい形にしたものと考えることができます。人は怒りや不安、正義感、先入観によって、相手を見ているつもりで自分自身の感情を見てしまうことがあります。そんな時、「ムー……」と呼吸することで、感情と自分との間にわずかな間が生まれます。その間によって、感情に支配されるのではなく、自分の心に気付き、次の行動を自分で選ぶ余地が生まれます。そこに…先程、円覚寺の横田南嶺管長のお言葉と通じるモノが感じられます。

私が本日、このようなお話をしているキッカケは…他ならぬご家族様の言葉に心を痛めているからであります。そこにはご利用者様を想う強い気持ちから…自らの『物語』に…心を奪われてしまい、その先のご利用者様の現実的な生き方との距離に悩まれていると思われるからであります。
しかし、そのような悩みは今に始まった事ではありません。その事を考える参考になれば…と思い、本日は…その視点を持って、昭和から未来までを眺めてみたいと思います。

① 昭和元年~昭和20年――「生き延びる」という悩み
この時代の日本人の悩みを一言でくくることはできませんが、後半には戦争が生活そのものへ深く入り込みました。食料、家族の安全、徴兵、空襲、疎開、死別。「どんな仕事をしたら自分らしく生きられるだろう」という悩み以前に、「明日も家族全員が生きていられるだろうか」という問いが、多くの家庭に存在しました。しかも、その苦しみを自由に語ること自体が難しい時代でもありました。この頃には、「国家のために」「家のために」「男なら」「女なら」という強い社会的物語も存在しておりました。個人の人生より、大きな共同体の物語が優先されやすかった時代だったともいえるのではのではないでしょうか?
だからこそ1945年8月15日は、戦争が終わった日であるだけではありません。それまで絶対だと思われていた「物語」が崩れた日でもあったのです。人間はそこで、「では、これから何を信じて生きればよいのか」という巨大な問いを突きつけられました。

② 昭和21年~昭和40年――「豊かになれば幸せになれる」
戦後の焼け跡から、日本は再建を始めます。この時代の大きな希望は、非常に分かりやすいものでした。家を建てたい。十分に食べたい。子どもを学校へ行かせたい。冷蔵庫がほしい。テレビがほしい。安定した仕事がほしい。昨日より今日、今日より明日。努力すれば生活が改善していくという実感を持てた人も少なくありませんでした。ここでは年長者の経験が強い意味を持ちました。「我慢して働けば、生活はよくなる」という助言に、現実的な根拠があったからです。しかし同時に、その成功体験が次の世代へ渡されると、「一生懸命働けば必ず報われる」という新しい「物語」にもなりました。
物語は、人を立ち上がらせます。けれども物語は、時代が変わると人を苦しめることもあります。

③ 昭和41年~昭和63年――「持つこと」から「自分は何者か」へ
高度経済成長を経て、多くの家庭で物質的生活は豊かになりました。テレビ、冷蔵庫、自動車、マイホーム。社会は便利になる。しかし便利になるほど、人間の悩みがなくなるわけではありません。むしろ、「どこの会社に入るか」「どこの大学を出るか」「どんな家を持つか」「周囲からどう見られるか」という比較が強くなっていきました。
貧しさの時代には、「持っているか、持っていないか」が問題だった。豊かさの時代には、「人より持っているか」が問題になったのです。
そして会社員なら会社員らしく、父親なら父親らしく、母親なら母親らしくという役割も強く残りました。
経済成長は、多くの人を救いました。しかし同時に、成功とは何か」という新しい物語を社会全体に作ってしまったと感じております。

④ 平成――「正解が一つではなくなった」
平成に入ると、その物語が大きく揺らぎます。バブル経済が崩壊する。終身雇用への信頼が揺れる。阪神・淡路大震災、東日本大震災など、大きな災害も経験する。インターネットが普及する。携帯電話からスマートフォンへ移行する。すると、それまでの「いい学校へ行き、いい会社へ入り、結婚して家を買えば幸せ」という人生モデルが、全員に当てはまるものではなくなっていきます。
ここから、世代間の助言の難しさが急激に増します。昭和を生きた父が、「会社では三年くらい我慢しなさい」と助言する。しかし子どもが働いているのは、終身雇用を前提としない会社かもしれない。若者が、「転職した方がよい」と答える。しかし五十代の人にとっては、住宅ローン、子どもの進学、親の介護があるかもしれない。
どちらも間違っていない。ただし見ている現実が違うのです。ここから、「年長者=答える人」「若者=教わる人」という構造が崩れ始めて来たように感じられます。

⑤ 令和――悩みが「全年齢化」した時代
そして令和です。この時代の特徴は、悩みが多くなったというより、一人の人間が、同時に複数の人生問題を抱えやすくなった…ことではないでしょうか。若い人なら、就職、SNS、人間関係、恋愛、物価、将来の年金。中年なら、仕事、子育て、住宅、親の介護、自分自身の老後。高齢者なら、配偶者との死別、身体機能、認知機能、一人暮らし、デジタル化。しかも、それぞれが互いにつながっています。
内閣府の2024年の全国調査では、程度の違いこそあれ孤独感がある人は合計で約4割でした。「しばしば・常に」孤独を感じる割合は20代7.4%、30代6.0%で、高齢者だけの問題ではありません。また孤独感に影響した出来事として、死別、一人暮らし、転職・離職・退職などが挙げられています。ここは非常に重要ではないでしょうか?孤独は「老人の問題」ではない。将来不安は「若者の問題」でもない。六十歳でも転職に悩む。二十歳でも家族介護に悩む。八十歳でも恋愛する。三十歳でも死について考える。七十歳の人が二十歳の人へ人生を教えることもあれば、二十歳の人が七十歳の人へAIを教える。
ある分野では先生であり、別の分野では生徒なのです。これこそ、最初の問いへの一つの答えではないでしょうか。現代社会では「年齢」と「経験の種類」が一致しなくなったと言えるのではないでしょうか。

⑥ 未来――「答えを持っている人」より「一緒に考えられる人」
そして未来。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計では、日本の単独世帯は2020年には全世帯の38.0%でしたが、2050年には44.3%になると推計されています。つまり未来社会では、「家族がいつもそばにいること」を前提に制度を考えること自体が難しくなります。さらにAIが発達する。今までなら年長者へ尋ねていたことを、AIへ尋ねることができます。法律も料理も旅行も病気も歴史も、瞬時に説明してくれる。すると、「知識をたくさん持っている人」だけでは、必ずしも人生の相談相手にならなくなります。
むしろ未来に価値を持つのは、一緒に考えてくれる人と言えるのではないでしょうか。「こうすべきだ」ではなく、「あなたはどうしたいのだろう」と問い返せる人。「私の時代にはこうだった」で終わらず、「でも、あなたの時代は違うのかもしれないね」と言える人。これは非常に大きな変化ではないでしょうか?

⑦ 人類が未来へ本当に渡してきたものとは?
では、昭和から令和まで、人々は何を未来へ託してきたのでしょう。財産でしょうか。技術でしょうか。制度でしょうか。もちろん、それらもあります。
しかしもっと深いところでは、「私の失敗を、あなたは繰り返さなくてもよい」という願いと繋がっているのではないでしょうか。戦争を経験した世代は、「二度と戦争を起こしてはいけない」と次世代へ伝える。貧困を経験した親は、「子どもには教育を受けさせたい」と願う。介護で苦労した家族は、「次の家族には同じ孤立を味わわせたくない」と制度改善を求める。職場で差別を経験した人は、「次の世代には同じことをしてはいけない」と声を上げる。
つまり人間社会とは、成功だけではなく、失敗を受け渡して成長してきた社会…でもあります。

ここで…興味深い研究があります。高齢者が若者へ人生経験を語る場合、特に「失敗した経験」を語ったとき、若者が共感的に受け止めると、高齢者側にも「次世代へ何かを残したい」という感覚が高まることが報告されています。また、若者が高齢者から人生の知恵を聞き取る世代間交流プログラムでは、若者の人生の目的意識や高齢者への態度などに肯定的な変化がみられた研究もあります。
つまり、教える人だけが成長するのでもなく、教わる人だけが成長するのでもない。互いに話すことで、双方が変わるというのです。WHOも2025年の社会的つながりに関する報告書で、孤独や社会的孤立は健康・幸福・社会全体に関わる問題であり、「社会的なつながり」を身体的・精神的健康と並ぶ重要なテーマとして扱う必要性を示しています。

ここに…最初に挙げた円覚寺の横田南嶺管長のお言葉の『虚構』と『現実』とを分けて考える必要があり、その為に『無字の呼吸』を1つの知恵として、日常の中に実践する必要が迫られるのではないでしょうか?
誰かに悩みを相談されたとき、私たちはすぐ答えたくなります。「こうした方がいい」「私ならこうする」「そんなことを気にする必要はない」等…しかしその瞬間、私たちは相手を見ているようで、自分自身の人生経験を見ていることがあります。
親子喧嘩の相談を聞けば、自分の親子関係を思い出す。仕事の相談なら、自分が受けた理不尽を思い出す。介護の相談なら、自分の家族を重ねる。すると相手の話を「とらえる」前に、自分の経験に「とらわれる」。
だから一呼吸置く。「ムー……」その一呼吸は、答えを考えるためだけの時間ではありません。自分の物語を、一度横へ置く時間なのかもしれません。そうすると、「あなたはこうすべきだ」だった言葉が、「あなたは、本当はどうしたいのでしょう」へ変わることがあります。
これは小さな違いに見えます。しかし人間関係では、とても大きな違いと言えるのではないでしょうか。

悩みとは、人生が止まっている証拠ではありません。そして、今まさに何かに悩んでいる方々へ、最後に一つだけ問いを残したいと思います。
あなたはいま、何に悩んでいるのでしょう。仕事でしょうか。家族でしょうか。介護でしょうか。病気でしょうか。お金でしょうか。孤独でしょうか。それとも、「自分はこれからどう生きればよいのか」という、言葉にならない問いでしょうか。
その悩みを、すぐ消そうとしなくてもよいのかもしれません。まず、何が現実で、何が自分の頭の中で作った「物語」なのかを眺めてみる。「失敗した」は事実かもしれない。しかし、「もう終わりだ」は物語かもしれない。「年を取った」は事実です。しかし、「もう新しいことはできない」は物語かもしれない。「若い」は事実です。しかし、「若いから何も分からない」は物語です。「一人で暮らしている」は事実です。しかし、「私は誰ともつながっていない」は、必ずしも事実とは限りません。
そこで一度、呼吸する。「無」。そしてもう一度、足元を見る。横田南嶺管長のお言葉を借りれば、現実を「とらえる」。しかし、それに「とらわれない」。
私たちには物語が必要です。夢も希望も、「こんな社会にしたい」という未来像も、一つの物語です。だから物語を捨てる必要はありません。
ただ、物語を絶対にしない。昨日まで信じていた答えが、今日の誰かには当てはまらないかもしれない。七十歳の経験が二十歳を救うこともある。二十歳の言葉が七十歳を救うこともある。十歳の子どもの一言が、大人の凝り固まった考え方をほどくことさえあります。
そう考えると、未来とは、年長者が若者へ一方的に知識を渡していく場所ではありません。互いの経験を持ち寄り、互いの「当たり前」を問い直しながら、一緒につくっていく場所と言えるのではないでしょうか?
昭和を生きた人には、昭和にしか得られなかった知恵があります。平成を生きた人には、価値観が崩れていく時代を歩いた経験があります。令和の若者には、今までの世代が経験したことのない世界を生きているからこそ見える景色があります。そして未来の子どもたちは、私たちが当然と思っていることを、「どうして昔の人は、そんなふうに考えていたの?」と不思議そうに尋ねるでしょう。
その質問に答えるために、私たちは今を考えるのではないでしょうか?

「あなたなら、何を次の人へ渡しますか」
人は、いつか人生から退場します。けれども、その人が経験した喜びも、失敗も、後悔も、誰かへ伝われば、その人だけの出来事ではなくなります。昭和から平成へ。平成から令和へ。令和から、まだ名前のない未来へ。

人間は答えを受け渡してきたのではなく、問いを受け渡してきたのかもしれません。「どうすれば戦争を繰り返さないのか」「豊かさとは何なのか」「家族とは何なのか」「働くとは何なのか」「老いるとは何なのか」「人を支えるとは何なのか」そして、「私は、どう生きたいのか」…
その問いには、昭和の答えも、平成の答えも、AIの答えも、そのままでは使えないことがあるのではないでしょうか?
だから私たちは、人と話す。違う年代の人の話を聞く。自分とは違う人生を生きた人の物語を聞く。
そして、ときには黙る。
一呼吸置く。「無」。…
自分の正しさも、相手への先入観も、昨日までの自分の物語も、ほんの一瞬だけ横へ置いてみる。すると、すぐ目の前にいる人が、「若者」でも、「高齢者」でも、「部下」でも、「親」でも、「介護される人」でもなく、自分と同じように、答えの分からない人生を歩いている、一人の人間として見えてくる。
私は、その瞬間にこそ、「寄り添う」という言葉の原点があるのではないかと感じます。未来へ何かを託すということも、おそらく同じではないでしょうか?完成した正解を渡すことではありません。自分が歩いてきた道を差し出しながら、「私はここまで考えた。あなたは、どう考えるだろう」と次の人へ問いを手渡す。その人がまた考え、失敗し、気付き、さらに次の人へ渡してゆく。それが何十年、何百年と続いてきたものを、私たちは「社会」と呼んでいるのではないでしょうか?

だからこそ、悩むことには意味があります。悩みとは、人生が止まっている証拠ではありません。むしろ、今まで使っていた自分の「物語」だけでは、目の前の現実を説明できなくなったという知らせ…なのかもしれません。
そのときこそ、一度呼吸してみる。そして足元を「とらえる」。けれども、その考えに「とらわれない」。そうして顔を上げれば、自分とは違う時代を歩いてきた誰かがいる。その人もまた、自分とは違う問いを抱えている。そこで初めて、「教える側」と「教わる側」という境界が消えて、「一緒に考える人」と「一緒に考える人」になるのではないでしょうか?
これからの時代に必要なのは、もしかすると、そういう関係なのではないでしょうか。

そして最後に、今この瞬間、何らかの悩みを抱えている皆様方に、こんな問いを残してみたいと思います。
あなたを苦しめているものの中で、変えることのできない「現実」は何でしょうか?そして、その現実について、自分自身が知らないうちに作っている「物語」は何でしょうか?
もし、その物語をほんの少しでも手放すことができたなら、目の前の景色は、どのように変わるでしょうか?
すぐに答えが出なくても構いません。一呼吸「無」。….答えのないところから、人はもう一度、歩き始めることができるのではないでしょうか?